そこで、長年の懸念であった自分の寿命を言い当てられたことで、とても気が楽になりました。
思っていたよりも長く、しかも80すぎても働いていると言われ、笑いもでました。
そんなに働いてるんだ、私・・・と笑いましたが、ほっとしたのも事実でした。
親を早く亡くすと、何となく、気になるものです。
それが肉親一同全て死因が「がん」だとなると、人には理解できないほどの不安がありました。
父や祖父母たちががんの末期でもだえ苦しんでいるのを目の当たりにしてきましたから、私はあのような最期・・・
地獄のようにどこまでも続く苦しみの毎日、悲惨な最期だけはなんとしてもあとに残る家族に見せたくはないと思っています。
しかし、父や祖父母たちのそのような悲惨な最期であっても、そのがんの闘病の最後だけで彼らの人生そのものが悲惨なものとは思っていません。
死は、その人生のほんの一部であって、全体を彩るものではないからです。
安らかに穏やかに逝く人の姿と、
その対極にある、苦痛に満ちた表情で逝く人との最期というのがあっても、いいのだと思います。
死に際が、死に方がその人の価値を決めるものではないからです。
だから、苦しかったら、怖かったら、つぶれそうだったら、
見苦しいのなんのと言われようが、なにかに頼ってください。
どうか、誰かにその思いを話してください。
格好よくなんて、なくていいんですから。
立派な死に方をしたと思われがちな「釈迦」ですが、
彼の死因は、普通の食中毒だそうです。
その人の価値を決めるものがあるとしたなら、
日々の、人としての誠実な生き方です。


