その帰り、パン教室を主宰されている友人のところへお邪魔してきました。
きれいな桃の花(少し散りかけていましたが)を見ながら庭でお茶をいただいてきました。
彼女が愉しんでいる飲んでいる福岡のお茶をいただきながら、いろんなお話をしてきました。
お子さんのアトピーでひどいのだけれど、ようやくよい病院が見つかって、本人も前向きになっているとのことで安心していました。
以前は東京まで通って、高価な薬を毎晩全身に塗りつけていましたが、ある時を境に全く効かなくなってしまったそうです。
本当に、こうなるまではなにかと大変だったと印象的な話をしてくれました。
お子さんのためにと思い、小さいいうちから塾に入れていたそうです。
その時に書いた作文を今でも大切に取っているそうですが・・・
「お母さん、おいしいパンをいつも作ってくれてありがとう。
お母さん、おいしいご飯を作ってくれてありがとう。
お母さん、身の回りのことをしてくれてありがとう。
お母さん、僕の欲しいものをいつも買ってくれてありがとう。
(・・・・いろいろと、感謝の言葉がつづれれているそうです。)
でも、お母さん、ぼく、なんだかつかれちゃったよ。」
・・・・・・彼女は最後のこの一文を読んで号泣したそうです。
自分が子どものためによかれと思ってしてきたことだったけれど、
こんなに子どもを苦しめていたのかと、愕然となったそうです。
いつの間にか、自分の枠に子どもをはめ込んでいたのではないか・・・。
それを聞いて、自分にも思い当たるところがありました。
私自身がそういう人間でした。
自分がしてきたことを、子どもには当たり前にさせようと圧(プレッシャー)をかけていたことがありました。
私にとっては、なにかを獲得するためには「努力する」のは当たり前なことだけれど、
そうしない、できない、やろうとしない子どもを目の当たりにすると、
情けない、不満、驚き、怒りの感情がわき上がってきて、それがかえって子どもを萎えさせてしまったのです。
何ごとも「たのしくやりたい」という子どもの感性を、握りつぶしてきたのではないか・・・。
その根底には、「自分は正しいことをしている」という思いこみがあるように思います。
自分が正しくて、子どもは間違っている、だから私が教えなければならないと使命のようなものを振りかざしてしまってきたのではないか。
それは、まちがいでした。
私は私が正しいと思うことを、私の中で行っていけばいいのであって、
子どもは、子どもに任せればいいのだということ、
子ども自身に委ねればいいのだということが、数年前にようやくわかりました。
子どもへの執着がとれて、自分自身も解放されました。
この、「自分が正しい」という思いは、今世界中の紛争の原因になってはいないでしょうか?
チベットのダライ・ラマ14世が来日されました。
平和を訴え続けているダライ・ラマ14世の日本でのスピーチが楽しみです。
ダライ・ラマには、カナダの講演でお会いしたことがあります。
彼の存在そのものが、素晴らしいです。
こころから尊敬しています。


