2006年07月07日

36. 「乳ガン の名医 」に会えない・ストレス のゆくえ

 

 待ちに待った大学病院での決戦の日、名前を呼ばれて外科の中待合室まで入りました。
 
 でも、診察室前の名札にはあの乳がんの名医 の名前がなかったのです。
 
 まったく知らない、N医師でもない、初めて目にする別の医師の名前でした。
 
 愕然となる。

 
  ナースに聞くと、その「乳ガンの名医 」は、今日は外来での診察ががない日なのだという。
 
 初診の時とおなじ曜日だから会えるはず、と期待してしまった私がバカだった。
 
 その医師は、私を見るなり
 
「手術 の時は、大変不愉快な思いをさせてしまいまして・・・・・」
 
と、丁寧に謝罪をしてくださった。N医師が伝えたのか、手術の日の私の抗議内容がカルテに書いてあったのか定かではないけれど、とにかく
 
 「○○医師に代わってお詫びいたします」
と、頭を下げられた。
 
  私は、「私の気持ち」だけを言った。
 
 先日のN医師にぶつけた言葉を、同じようにこの医師に投げかける気は、もうなかった。
 

 やさしく痛くないように胸の傷口 の抜糸をしてくれたこの医師も、穏やかな先生だった。
 
  後日、手術で摘出した腫瘍 の病理検査の結果とともに、丁寧な手紙がこの医師から届いた。

 返事を何度も書いては破り、結局未だにそのお礼の手紙を書けずにいる。
 
 最初は冷静だけれど、そのうち文章が荒くなっていったから。この医師にぶつけたところでどうなるものでもなく、そうすることでこの医師 を(関係ないのに)責めてしまうことになるのがイヤだった。
 
 もう一度、この大学病院 で、あの乳がんの名医 の診察日に出かけ、説明を求めることもできた。でも、その時の私にはもうそんな気力さえなかった。
 
 「乳ガンの名医 」にコンタクトをとってくれた仲介者に連絡を取り、事情を話すと
 
「○○先生はそういう手術(良性腫瘍 )はしませんよ、なにかの間違いでしょう」
と言われ、私の聞きちがいだ、と冷たくつきはなされた。
   
 私の中でわき出したマイナスのエネルギー は出る場所とタイミングを失って、内へ、内へと入り込んでいった。持って行き場がないまま、意識的に自分の中へ押し込んでしまっていった。
 
 見た目は何も変わらないように見えたが、出ていくべき大きなストレス が自分自身の奥深くに向けられていった。
 
 そこから始まった、苦痛の日々・・・。
 
 ストレス のはけ口を見つけられぬまま、それは私の中で思いもかけない形で現れてきた。
 
  
 きょうのひとこと

 
 あの時、ストレス を流す最良の方法を知っていたら、あの苦しみは巡ってこなかった。

 
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2006年07月03日

35. 手術前、麻酔の前に聞く言葉・自分のためにできること


百歩譲って、本当に○○医師は急患が出て分院へ行ったのだとする。それでも、なぜ私にあの(未だに名前も知らない・新米)医師を私にあてがったのか? 

 なぜ、執刀医の変更は事前に患者に知らされないのか?  

 

 ○○医師からの指示の内容はどうだったのか?

 N医師ではなく、新米医師に執刀を任せたわけは?

 私が単なる一患者であったからか?(知り合いの場合はまた違ったのではないか? ) 
 
  これを読む医療関係者の中には、
 「これだからこのての患者は困るよ、ちゃんと手術してもらってるのにこんなことぐらいでぐだぐだと文句を言ってくる。時間もないのに、医師はこういう患者に時間をとられて、他の患者を診られない」

と、呆れている方もいるのだろう。そんな声も聞こえてきそうな気がする。
 
 「ちゃんと手術してもらったんだから、いいだろう」

という、彼らの主張が聞こえてくる。
 
 大学病院は、医師を育てる機関でもある。それを承知で大学病院を選んだんだろうと、言われるかも知れない。
 
 しかし、恥ずかしい話だけれど、この場合、そのことはまったく眼中になかった。
 

 その医師自らが「僕ならきれいに切ってあげますよ」と言ったわけだから。
 

 私はこのブログで特定の病院・特定の医師・特定の著書を批判するものではありません。 
 

 私は私が体験した事実のみをお伝えしていきます。ですから、どの病院であるかなどのお尋ねなどについては、残念ながらここでお答えすることは差し控えさせていただきます。

 

 お読みになっておわかりのように、私は「Stop!]をかけるチャンスがありました。
 

 しかし、その時の私にはそれができませんでした。もう少し、自分を守ろうとして真剣だったなら、臆病でなかったら、そのあとの苦しみは巡ってこなかったはずです。

 

 もしも、あなたがここでいいのかと不安ならば、とにかく誰かに助けを求めればいいのです。信頼できる、その道に詳しい人にです。

 

 執刀医は誰なのか、ちゃんと手術前にも聞いてください。麻酔を掛けられる前にかならず聞いてください。
 
 熟練の医師に頼んだのならば、間違っても私のように大学病院で「指導を受けながら手術をする医師」に当たらないようにしてください(どなたでもいいなら別ですが)。
 
 手術の1週間後、抜糸のためにあの大学病院へ行くことになっていた。
 
 あの名医と面と向かって話すことができる。疑問をすべて投げかけてみよう。
 
 その時すべてが、明らかになる。  
 
 私はその日からずっと、その言葉を考えていた・・・・。
 
 
 きょうのひとこと
 
 意志があるところに道がある

 
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34. N医師の謝罪・私が見た大学病院というところ

 N医師が戻ってきて、開口一番こう言った。
 

医師;「今日、○○医師は、急患があって△△の病院へ行ったんです」
 
 (反射的に)ウソだと思った。
 
 N医師には悪いけれど、それはウソだと思った。
 
私;「本当ですか? それではどうして、そのことを手術の前に私に言ってくださらなかったんですか? 」
 
医師;「・・・・誰からも説明がなかったんですか? 」
 
私;「どなたも私に説明してくれませんでした。普通でしたら、手術の前に当然執刀医の変更は患者に知らされるのではないですか? 」

 
医師;「申し訳ありません」
 

私;「何も言われなければ、約束どおり手術が行われると考えるのは当然だと思います。だから、私はいつ・てくれるんだろう、いつ・てくれるんだろうと、手術中もずっと待っていたんです。○○先生が約束してくださったんだから、・てくださるはずだって」
 
医師;「本当に申し訳ありません、こちらの連絡ミスです」
 
私;「あの先生(今日の執刀医)が手術するというのは、いつ決まったんですか? 」

 
医師;「・・・」
 

私;「○○先生が、きれいに切ってあげるから、と言ってくださったので、私はこの病院でこの手術を受けることに決めたんです。今日の先生が切ることが手術の前にわかっていたら、私は切られることを承諾しませんでした」
 
医師;「本当に申し訳ありませんでした」
 
私;「私はずっと不安だったんです。手術した先生は慣れていないようでしたので」
 
医師;「大丈夫です、私がちゃんとみていましたので。きれいに取れていますし、傷も目立たなくなりますから。 心配はいりません」
 
私「先生(N医師)がやってくださればよかったのにと、考えていました」
 
医師;「ごめんなさい。僕たちは、チームでやっていまして・・・・」
 
私;「大学病院では、この先生が手術してくださるということでサインしても、実際には別の医師が執刀するとこういうことは、よくあることなんでしょうか? 」
 
医師;「いえ、そんなことはありません」
 
私;「手術の予定が前々から入っているのに、○○先生が出かけなければならないほどの重大事が、今日起きたということなんですね」

 
医師;「はい、そうです」
 
私;「それは○○医師でないと対処できないことなんですね」
 
医師;「そうです」
 

私;「私は、今の気持ちをうまく言葉で表すことはできません。○○先生の本を見て、ある病院へも行きました。○○先生がその本の中で推薦されていたからです。しかし、その病院は本当は○○先生も「オススメ」できるような病院ではなかったんです。そこは「つきあい」があって仕方なく載せているとは、患者だけでなく、その病院も知りません。陰では、ひどいことを言われているなんて、思ってもみないでしょう。そこでは、○○先生が心配されてるひどい治療や、ひどい手術が行われているんではないんですか? 先生が紹介しなければ、そこへ行く患者さんもいないんじゃないでしょうか?  しかし医師が書いていることで、私たちは信頼しているんです。そのことはどう思いますか?」
 
医師;「それは、僕には何とも言えません」
 
 確かに、書いた本人ではないのだから、こんなことを言われても迷惑だろう。
 
医師;「とにかく、手術は成功しましたし、傷もきれいになくなっていきます。体のほうは安心してくださって大丈夫です。ただ、手術中、そんなお気持ちでいらっしゃったことは、○○に代わりまして、お詫びいたします。ご心配をおかけして、本当に申し訳ありませんでした」
 
 多々と頭を下げられ、とても心苦しかった。

 

この医師には、なんの落ち度もないのだ。何も知らされていなかったのだと思う。それでも、こんなに真摯に謝られては、もう何も言葉が出なかった。

 N医師は私が納得するまで、話を聞いてくださっていた。「いい加減にしてくれよ」といった態度がどこにも見あたらなかった。それが私の気持ちを穏やかにしていった。
 
 もういい、と思えた。

 
 事実は変えようがない。今はただ、この現実を受け止めるしかない。


 この頃ふと思ったのは、もしもあの時の手術が、「全身麻酔」だったら、どうだったんだろう・・・・ということだ。

 
 私は何も知らず、あの名医が手術してくださったと心から感謝をし、今も平和に暮らしていたのではないかと思う。
  手術したのは本当は別の医師でも、大学側から知らされなければ、私は知るよしもない。
 
 そう考えると、底なしに怖くなった。
 
 手術の担当医さえも知らないうちに執刀医が替えられてしまうこの大学病院のシステムとは、いったいどうなっているんだろう? 
 
 あの時、「局所麻酔」で私に意識があり、すべてを聞き、すべてを見たから、それがはっきりとわかった。 
 
 

  きょうのひとこと

 「知ること」で、「失うこと」もある。
 
 追伸
私のつたない文章を毎日読んでくださる方がいて、とても嬉しいです。先に書かなければならない(みなさんに伝えたい)ことがあって、まだまだ、私が書きたい(How to)「ガンでも大丈夫」まで辿り着かないのが現状です。
 それでももしよかったら、お付き合いください。

 

                
 

                        

33. あの医師はなぜ手術室に来なかったのか

 外来の診察室の中待合室で待っている間、少しずつ正気に戻ってきた。
 
 家族は手術室前の廊下でずっと待っていたが、手術が始まる前にはなんの連絡も受けていなかったので、予定どおり「あの名医」が執刀しているものと思いこんでいた。
 
 手術が始まる頃、誰かが家族の待つ廊下まで来て、
「今、始まりましたよ」
と、知らせてくれたらしい。
 
 胸のしこりを摘出したあとに、それを「シャーレ」のようなものに入れて家族の所まで見せに来て説明してくれたようで、家族はまったくなにも心配していなかったそうだ。
 
 まさか、私が名も知らぬ新米の? 医師によって手術を受けているとは、夢にも思っていなかった
らしい。
 
「順調に進んでますよ」
と報告に来てくれていたらしく、主人は親切な病院だという印象を強く持っていた。
 
 だから、私の
「あの先生、来なかった」
という言葉の意味が、家族にはまるでわからなかった。
 
 それと同時に、
「どうして始まる前に言わなかったんだ」
という素朴な疑問も、当然ながら私に鋭く投げかけられた。
 
・・・本当に、私っていったい何してたんだろう・・・? 自分を守れるのは自分だけなのに、なんてバカなんだ。なんで、やめてくださいって言えなかったんだろう。
 
 
 その時、ランボーの詩の、ある一節が浮かんでいた。
 
 
 束縛されて手も足も出ないうつろな青春
 
 小さな気づかいゆえに僕は自分の生涯をフイにした
 
 自分にも落ち度がある。意識がありながら、
「どうして、この医師が手術するんですか? 」
と、言わなかった。      
 
 すべては遅すぎるけれど、何があって、この状況になったのか、はっきりと聞かねばならない。
 
「僕なら、きれいにとってあげますよ」
と、あの名医が言ってくださらなかったら、私は今日、ここで手術を受けていなかった。 
 
 名医から定期的に検査を受けることを何よりも勧められていたら、そうしていただろう。
 
 手術は、「まだこの症例の手術経験の浅い医師が行います」とあらかじめわかっていたら、私は手術を承諾しなかった。会ったこともない誰かわからない医師に手術をしてもらうために、わざわざ遠いところからはるばるやって来たりはしなかった。
 
 信頼できると思った医師だったからこそ、今、手術を受けようと思ったのに。
 
 いつからこの手術の「幕」が開いたのか?
 私の手術は、いつから執刀医が変わったのか?
 
 どうしても聞いておかねばならなかった。
 
 10分ほど待たされて、N医師が手術服から着替えてやって来た。(マスクを取っても)この話をするのが気が引けるほど感じのいい人で、とたんに私のテンションが下がってしまった(情けない)。
 
 なにしろ手術中ずっと私を励ましてくださっていた医師で、この人にはなんの恨みもなかったからだ。でも聞かなければ気がすまない。気を取り直して、思い切って
「今日、○○先生はどうされたんですか? 」
と、聞いてみた。
 
「えっ? 」
予想どおりの反応だった。
 
「私は今日、○○先生に手術していただけると聞いて来ました。先生とそういう約束をして、承諾書にもサインしたと思います。手術中何度もそのことを聞こうと思いましたが、どうしても聞けませんでした。理由を聞かせてください」
 
 近くに2人、患者さんらしき人がいて、こちらの話を聞いていたので、N医師が「こちらにどうぞ」と別の小さな相談室に移動した。
 
「そうだったんですか・・・・、本当にそうなんですか? 」
 
 N医師の動揺ぶりで、この医師は(たぶん、何も知らされてはいない)と私は感じた。
 
「申し訳ありませんが、ちょっとお待ちいただけますか? 」
 
 それからしばらく私はその小部屋で待っていたが、N医師はなかなか帰ってこなかった。
 
 
 きょうのひとこと
 
 すべてが遅すぎる。
 いったい私は何を期待してるんだろう。
 いまさら言ったところで、もうどうなるものでもない。
 ただ、「面倒な患者」としての烙印を押されるだけ。 
 
 それでも信じたい。
 あの言葉は、ウソじゃなかったのだと。
 
 私は、それを確認したかったのだ。

 
       

2006年06月30日

32.大学病院 での手術の日

 大学病院 の手術室には、歩いて入った。
 
 「腫瘍の摘出手術」は局所麻酔だったからだ。
 
 名前の確認 などが行われて、手術用の衣服に取り替え手術台にも歩いて乗った。 
 あまり嬉しくないことだけれど、局所麻酔での手術はこれが3度目だった。
 
 担当の医師が
「今日担当するNです、よろしくおねがいします」
と挨拶してくださって、安心した。初めて会った医師だったが、とても感じのいい医師だったからだ。
 
 このN医師が、「助手」を務めるのだと思った。
 
 しかし、胸に局所麻酔が打たれても、あの乳がんの名医 は現れなかった。
 
 (どうしたんだろう・・・何かあったのだろうか・・・・。いつ来てくれるのだろうか・・・)
 
 
 そのうち先ほどのN医師が、誰かに向かって説明し始めた・・・。
 
 (この人は誰? )
 
 「よろしくお願いします」
 スタッフ一同が挨拶をしている。
 
 (えっ、どういうこと? 始まるの? まだ、あの乳がんの名医 は来てないじゃないですか? )
 
 N医師の指示どおり、(名前も知らない初対面の)誰かが、私の体にメスを入れた。
 
 (どうして? )
 
 愚かだと言われるかも知れないが、私の頭の中は、それでもいつか名医 がやってくることを信じて疑わなかった。
 今、名医 は少し遅れていて、この医師がここにいるだけなんだと・・・。
 
「今日は、(あの)医師は都合が悪くなり、来られませんので、代わりに・・・」
と誰からも言われていなかったからだ。
 
 きっと、遅れて来て “きれいに切ってあげますよ” と、手術してくださると信じていた。 
 
 しかし、手術は私の不安をよそにドンドン進んでいった。N医師の指示どおりその医師 がゆっくりと電気メスで切っていく。
 
 電気メスの時も途中何度もN医師から細かな指示が入り、その会話の中から、この医師 がこのての手術は「初めて」らしい印象を私は持った。
 
 電気メスの焦げたにおいと、執刀している医師 の極度の緊張が伝わってきて、私は気が遠くなるのを感じていた。 
 
 ときおりN医師が
「大丈夫ですか」
と言って、優しいまなざしで見つめてくれるのだが
 
「あの先生は、いつお見えになるんですか? 」
の、ひと言が言えなかった。
 
 これを言ってしまったら、この執刀医の立場がなくなる気がして、言いたいのは山々だったが、どうしても言えなかった。
 
 言ってしまったら、どうなっただろう・・・。
 
 この頃になると、もう自分の置かれてる状況がこの私にも理解できてきた。
 けっして、もうあの乳がんの名医 がここへ来ることはないんだ。
 すべては、(いつからか知らないが)決まっていたんだ。
 
 名医 ではなく、この医師の(練習の)ために・・・・。
 
 そう考えれば、すべてに納得がいった。
 
 いつからか幕が開いて、私は「医学のために」体を捧げていた。
 
 手術が終わる頃には、もう、ほとんど思考が止まっていた。
 
 手術室から出て、廊下で待ってる家族に開口一番
 
「あの先生来なかった」
 
と言った。手術中ずっと抑えていた感情が、自分のこの言葉でスイッチが入ったのか、私の中で怒りがわき出した。
 
 話がしたいと、先ほどのN医師に面会を求めた。
 
 
 きょうのひとこと
 
 言いたいことは、言うべき時に、言わなければ、意味がない。 
  

2006年06月26日

31. 細胞診の結果・手術の承諾書にサインする

 真夜中だった。午前3時、母に何かあったのかと慌てて電話をとった。
 
「こんばんは、○○大学の、○○です」
 
電話は4番目の病院の医師だった。
 
「遅くなってすみません、細胞診の結果が出ました。線維腺腫でした、よかったですね」
 
ホントによかった。これで、安心した。
 
「先生、これは大きくなるんでしょうか? 」
 
「そうですね、大きくなるかも知れません。定期的に細胞診をやった方がいいですよ。傷は大きくなるかも知れませんが、その時とってもいいですし、心配なら、今とってもいいでしょう」
 
「このあたりでしたら、どこがいいでしょうか? 」
 
「そのあたりではオススメできるところはありません。また、全身麻酔されますからね。僕なら、きれいに取ってあげますよ」
 
「本当ですか? 」
 
「ええ、もちろん。入院しなくていいです。日帰りで帰れますから」
 
「先生がやってくださるんですか? 是非お願いします」
 
「じゃあ、また僕の診察日に来てください、手術の承諾書などが必要になりますから」
 
「必ず伺います、ありがとうございました」
 
・・・こんなことがあっていいのだろうか。この医師が自らきれいにしこりを摘出してくれるという。
 しかも、日帰りで帰れる。
 
 3週間入院しないでいいんだ(もちろんガンではないからだけれど)。
 
 今がチャンスだと思った。

 


 これは、運がいいとか、悪いとか、そういう観点から見れば間違いなく私は運がよかった。
 
 ガンではなかったこと。
 
 人(作家・ナース・子ども・家族)に恵まれたこと。
 
 運命を分けた『乳がんの本(仮名)』との出会い。
 
 医師に恵まれたこと。 
 

 私は、数日後に、その医師の診察日に外来へ行き、その医師と会った。医師の手術内容などの説明のあと、承諾書を渡された。
 
 ただ、私がサインをその場で書いたのか、後日持参したのか、6年前のことなので、定かではない。ただ、その承諾書の執刀医はまちがいなく、その医師だった。
 
 今、家のどこかを探せば、それが出てくるけれど、今、それを知ったからと言って、どうなるものでもない。
 
「心配いりませんから、きれいにとってあげますからね。安心して手術を受けてください」
 
 私は、まったく心配していなかった。
 
 この腕のいい医師に手術をしてもらえるなんて、なんてラッキーなんだろうとただ嬉しくて、なんの不安も感じていなかった。  
 
 本当に信じて、疑わなかった。 
 
 
 
 きょうのひとこと 
 

 苦手な人に会う前に、自分が感じてる「敵意」を流す。 そして、会う。 

30.乙武君を見て思い出すこと

 病院の広い待合室で待っている家族のところへ走って行った。
 
私;「ガンじゃないんだって! 」

主人;「えぇっ・・・・・・・!ホントに? ホントに? どうして、そんなすぐにわかったの?  
 
 今、細胞診をやってくれたから、検査の結果が出るまでは完全には喜べないけど、先生の触診と、「細胞診」の時の手応えでほぼ「ガン」ではないと思うって言われたことなどを説明すると、子どもが
 
「じゃあ、入院してお胸とらないでいいの? 」
と聞いてきた。
 
「うん、ママはどこへも行かないよ」
 
「よかったぁ! よかったぁ! まま、いかないんだね。ずっといっしょなんだね」 
 
主人;「よかったなぁ、ここに来て」
 
 本当に良かった。家族に迷惑掛けたけれど、ここまで来てよかった。
 
 3番目の病院でかなり「深刻」な状態と言われ、それなら遠くてもいいからあらゆることに対応できるところにしようと決めていた。
 
 ここならそれが全部ある。
 
 ただ、医師が
「僕の病院に来られますか? 」
と誘ってくれなかったら、決断も付かなかった。
 
 あのまま、これまでの医師の診断に疑問を感じないで、「あの作家」と巡り会わず、ナースの友だちもいないで、この子もいなかったら、私は必要のない「全身麻酔」や、必要のない「リンパ節郭清」をしていたのだ。
 
 人生の大きな分かれ道に、自分が立っていたことをはじめて感じた。
 
 巷(ちまた)には情報があふれている。

 

 その中で、どんな情報を得、何を選択し、決断するかによって、まったくその後の人生が変わってくる。
 
 このときほど、その怖さを肌で感じたことはなかった。
 
 3番目の病院で手術している自分を想像すると、今でもこわくなる。
 
 

 ホテルは12時が、チェックアウトなので、十分に間に合う。支払いが済むまで、家族みんな、嬉しさをかみしめ合っていた。
 
 昨夜は『五体不満足』の作者 乙武君と、エレベーターで一緒になった。彼の本を読んでいたので声を掛けたかったが、それができなかった。連れの方と2人で話に夢中で、それがとぎれることがなかったからだ。
 
 それに、プライベートできている様子だったので、なんだか気が引けたせいもあった。
 
 TVで見たままの、好青年だった。とても感じのよい方とご一緒だったので、たぶんそれが今の奥様なのだろう。
 
 さわやかな風を残して、2人は先に降りていってしまった。
 

 あれから6年もたっているのに、未だに子どもはその光景を覚えていて、乙武君がTVに出ると、
「この人にあった、あったんだよね」
と、嬉しそうに自慢する。
 
 私は、乙武君を見る度に、自分のこの経験を思い出す。彼にエレベーターで会ったときは、まだ「ガン」と言われていたときだったので、そのことも含めて、ブドウの房のようにたくさん思い出す。
 
 まさか、乙武君は、自分のことを見てそんなことを思う人がいるとは夢にも思わないだろう。
 

 ホテルをチェックアウトしてから、久しぶりの美味しい食事をした。
 
 自宅に戻って、心からほっとした。
 
 こんな嬉しい結果が出るなんて、嬉しすぎて、夢かと思った。久しぶりにぐっすりと眠った。
 
 

 

 午前三時、電話のベルが鳴った。  母に何かあったのか・・・・? 
 
 
きょうのひとこと
 
  生かされてる。

 
 自分だけで生きてるんじゃない。
 
 誰かによって、私は生かされてる。
 
 ありがたい。
 

 

29.4番目の病院での乳ガン検査

 乳ガンの細胞診をしましょう、と言ってくださった4番目の医師の病院は、かなり混雑していた。
 
 中待合室で待つ間、ここでも他の病院と同じに「患者さんと医師」の話が漏れてきてしまう。
 
 まだ出産したばかりなのに、ガンが見つかり右の乳房全部を切除しなければいけない 23才の女性がいた。
 
 赤ちゃんは2ヶ月。
 
 しかも、そのガンはかなり進んでいるらしかった。かなり。
 
 診察室の中での彼女のつらい心情が伝わってきて、待合室で待つ人々は、一様に茫然となっていた。
 
 今、自分が「そのこと」を言われているようにも感じている人もいるのだろう。
 
 また、ある人は、この病院の医師の知り合いらしく、それが話の途中からわかったらしくて
 
「そうだったんですか、最初から言ってくださったらよかったのに・・・」
 
と、いっそう話がはずみ、
 
「あなたの手術は私がしますから、安心してくださいね」
 
と、約束しているようだった。
 
 医師の知り合いがいる人は、得だなぁと思う。
 
 この医師はひとり、ひとりにしっかりと時間をとって診察していたので、中待合室でもかなりの時間を待っていた。それは、患者として喜ばしいことだと思う。
 
 私の前の患者さんは、みな「ガン」で、手術をする人ばかりだった。
 
 私の名前を、その医師が中から呼び、ようやく私の番が回ってきた。
 
 医師は思っていたよりも、やせている人だった。電話の声がエネルギッシュだったので、勝手にそんな想像をしていたのだ。
 
 事情を話すと、電話の内容も思い出してくれて、(他の病院の対応に)また改めてため息をついていた。
 
 「まだまだそんなレベルの低い診察や、治療を堂々とやってるところがあるんですね」
 
 「医師の保身のために、やらなくてもいい手術をしちゃうんですね、患者さんのことをなんだと思ってるんでしょうね」
 
 「まず、そこのベッドに横になってください」
 
 診察室の片隅にあるベッドに横になり、触診をすることになった。
 
 
 
 
 「線維腺腫ですね、ちょっとむずかしいけれど、たぶんまちがいないでしょう。だいじょうぶ、がんじゃないですよ」
 
 (うそ!本当ですか・・・・。本当に、ガンじゃないんですか? 信じていいんですか? そんなにはっきり言ってもいいんですか) 
 
「まず、超音波をしましょう」
 
 助手らしい人が準備をしてくれた。
  
 超音波で診ると、やはり微妙な感じのようで、医師も何度も(胸のしこり)慎重に診ていた。
 
「うん、ちょっと形がね・・・難しいですね、でもこれでいきなり手術はないですよ。その前にできることはちゃんとあるんです。こわいだけなんですよ。難しいから、やりたくないだけ」
 
 (また、少し気分が引き戻された・・・・)
 
「細胞診をやってみましょう、それではっきりしますから。大丈夫、少し痛いけれど 僕は外したりしませんから」
 
 (ハイ、信じています)
 
 その手技には迷いや、ぶれがなかった。あざやかな手さばきで、まさに一瞬だった。
 
 この医師は、すごい! 
 
 「大丈夫、これはまずガンじゃないと思いますよ。くっついてくる感触でわかるんです」
 
 「結果は、今すぐにはできませんが、心配でしょうから早めに回しますからね。大丈夫、心配しないでいいですよ、悪いものではないですから」
 
 あぁ、信じられない!ガンじゃないんだ。3週間入院して、胸の何分の一かを切り落としてリンパ節までとらないでもいいんだ。
 
 ここまで来てよかった。この先生に会えて本当に良かった・・・・。 
 

 きょうのひとこと
 
 この世のすべてのことには時があり、すべてのことには業(わざ)がある。
 
 病むに時があり、癒すに時がある。
  
 泣くに時があり、笑うに時がある。              聖書の一節                       

2006年06月23日

28.医師を裏切る

 その医師が書いた本を頼りに私は3番目の病院を決めたのだが、医師はその病院について
 
「あ、あそこはだめ。レベルが低い。あの辺はいいとこないんですよね。でも、まあ、なにか入れなきゃならなかったし、いろいろありますからね」
 
と、言った。・・・びっくりした。そんな程度の病院とは思わずに、私は「その本」を信じて出かけていったのに。
 
 なんてことだろうと、そんなことがあっていいのだろうか? 耳を疑いました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 
「みんな怖がって細胞診をしようとしないんですね。まったく、困ったもんですね。そのまま手術するってことなんですね。もし、ガン じゃなかったらどうするつもりなんだろう。信じられません。私の所に来られますか?細胞診やってあげますから 」


「はい」
思わず反射的に答えた。相談できるだけでも有り難かったが、診てもらえることになるなんて、ましてや、細胞診をやってもらえるなんて信じられなかった。
 
 いいえ、はっきり言えば、I had no choice.

 そうするしか、もう方法がなかった。もう、めぼしいところが近くにはなかった。かなり遠いが、行ってみよう。


 その時点で本当に頼れる医師が、他には誰もいなかったのです。

 

  こんな状態でも引き受けてくれるという医師に、頼もしさを感じました。
 
 翌日、3番目の病院の医師に電話で 
 
「大変申し訳ないのですが、そちらでは手術をしないことになりました」
と、伝えた。電話のむこでは、明らかに声が変わって、医師が
 
「理由を知りたい」
 
と、しきりに聞かれました。
 
「家族で相談した結果、3週間の入院は子どもにとって、あまりよくないからということになりました」
 
と、言う理由にしましたが
 
「お子さんのことと、自分の命と、どっちが大事なんですか? 」
 
「どっちも大事です」
 
「ちがう。 あなたが、生きることがお子さんにとってもっとも大切なことですよ。切るものは全部切って、元気になって帰ってあげなさい、あなたがどうして気が変わったのか、私には理解できない。うちは、この手術では結構有名なんですよ、本でも紹介されています。あなたもそう言ったじゃないですか」
 
 ハイ、わかっています。あの本でも書いてありましたよね。確かに書いてありました。だから、私は尋ねて行ったんです。 でも、その本の著者は・・・・・
 
 どんなに理由を聞かれても、その言葉だけは言うことはできませんでした。
 
 どんなに責められようが、口にはできませんでした。
 
 結局、半ば飽きられるように医師の方から電話が切られ、私は落ち込みました。
 
 その後すぐ、先ほどの医師から
 
「ご主人と話したい」
と、また電話がかかってきて、しばらく話が続いていました。こんなに真剣に私のことを考えてくださってるのに、「とても悪い患者」になってしまっている自分がいました。
 
 どこへも持って行きようがない思いで、苦しくてつぶれそうでした。
 
 
 
 ただ、結果的にこの医師は、私のこの「裏切り」で救われたのです。
 
 少なくとも私から恨まれずにすんだのです。 
 
 

 きょうのひとこと
 
 いつか、きっと、必ず、この闇を抜ける。
 

2006年06月21日

27.ある医師にコンタクトをとる

 正直に告白すると、私は少し前から密かにある医師にコンタクトをとる計画をしていた。
 
 きっかけは、2番目の病院での「細胞診」の失敗だった。この胸のしこりが「ガン」であるなら、この失敗は体にダメージを与えかねない状況だと考えたからだ。

 
 「細胞診」の失敗で、ガンが体内で散らばるのではないか、その恐怖が私を襲っていた。
 
 また、「細胞診」をしたならば、なるべく早めに手術をした方がいい、とも言われている。
 
  「乳ガン」専門医の見解を聞きたかった。
 

 「ある人物」を介して、電話で意見を聞くことを考えていた。
 
 抜け目がないと思われるかも知れないが、ハイ、その通りです。
 
 考えられる選択肢は全部使うのが、私のモットーなのです。それは、「あの作家」のアドバイスと、紹介してくださった本『やっと名医をつかまえた』の影響でもあります。
 
 とにかく、優先させるのは、まず、生き延びること。
 
 しかし、子どもも小さいので、子どもの現状と、その後の生活(クオリティ・オブ・ライフ)も考える。
 
 仲介者と連絡を取って、医師からの電話を待った。
 
 その医師が書いた本を穴があくほど読んでいた私は、ドキドキした。
 
 私のケースでは、この医師はどちらがいいと判断するのだろう。

 
 他の選択ができるのだろうか?  
 

 電話がいつ来てもいいように、コードレス電話を家中持ち歩いていた。 
 
 約束していた日の夜、電話が鳴った。

 
 「○○大学の、○○です」
 
 思わず背筋が伸びた。仲介者からある程度の内容は、すでにその医師に伝わっていた。
 
私;「最初の△△大学で、細胞診はできないと言われて・・・」
 
と言い始めると・・・
 
医師;「あぁ、頭の×××、△△、最低だ。今でも、そんなことやってるんだ? 医者の保身のためで   
すよ。後で違うって訴えられないようにするために、全身麻酔なんてことやるんだ。少しも患者さんのこと考えてないやり方ですよ。」
 ・・・・・・・・・(いろいろやり取りがありましたが、ここでは書けません)
 
 私;「結局、先生が本で勧められてる□□病院へ行ったんで」
 
 私の話が終わらないうちに、それを遮るように医師が言った。
 

  しかも、それは耳を疑うような言葉だった。 

 

 その話はまた次回。 

 
 きょうのひとこと
 
 カフェインからはじめよう
 
カフェインは、中枢神経に直接作用するので、思考がはっきりしてきたり、疲労が減った感じがする。また、 カフェインは、肝臓に蓄えられている「糖」の放出を促し、コーヒー・コーラ・チョコレートは、精神高揚効果を与える。
 
 しかし、・・・・・蓄えられている「糖」の放出は、内分泌系に重いストレスを与える。
 毎日の摂取が1年間になると、多量のカフェインが体内の脂肪組織に蓄積し、その排泄は容易ではなくなる。カフェインは、体からビタミンC、亜鉛、カリウム、その他のミネラルだけでなく、ビタミンB,特にイノシトールを奪う。
 
 コーヒーをやめてみると、体調の変化が出てくるはずです。

2006年06月20日

26.勇気あるナースの助言

 この病院で乳がんの手術をすることを迷っていました。
 
 ここで乳がんの手術をしたら、3週間は病院にいなければならないからです。
 
 あの大学病院では2週間ぐらいだと言われていました。
 
  帰宅してから、あの知人(病院のナース)に電話を入れました。彼女に
 
 「本当のことを言って」
 
とお願いしました。
 
 彼女が医師と話したところでは、あまりにも落ち込んでいるので、病名は言えなかったそうです。早めに手術した方がいいと言っていたらしいのです。その上でこう言いました。
 
「友だちだから、ほんとのことを言うね。手術は、ここじゃない方がいいよ」 

「 えっ、ここではだめなの? 」
 
「ここには放射線がないの。医療機器も十分ではないんだ。このケースなら、今後のことを考えて、できるだけあらゆる治療法が選択できた方がいいよ」 
 
「放射線が必要になるんだ? 」
 
「そういうことも有り得ると思う。どんな状態になっても対応できるようにしておいた方がいいから」
 
「でも、紹介してもらったのにやっぱり私止めます、ってなったら○○さんの立場が・・・」
 
「そんなの、関係ないよ、そんなこと全然関係ない」」
 
「・・・・」
 
「あなたが助かることが一番大切なんだから。ここではない、どこか放射線もある病院にしておいた方がいいよ。そうすれば入院中から治療ができるから」

 
「・・・○○さんは、それでも大丈夫なの?」


「なに言ってるの? 私は大丈夫。私のことなんて全然関係ない」


・・・なんという思いやりだろう。彼女は私のことを友人なのでお願いします、と医師に頼んでくれていた。 そんな彼女の立場で、やっぱりここでは手術しません、ということになったら、彼女はこの病院には居づらくなるのは目に見えている。

 この優しさは「本物」だと思った。 

 
 

 手術の内容もさることながら、・・・気になっていたのは、自分の手術のことよりも、むしろ子どものことだった。
 

 子どもはまだ幼く、母親から離れられない。私の母が来てくれたところで、あの子の心を満たせそうにはない。ここは自宅からかなり離れているので、会えるとしても土・日になる。
 
 せっかくここまで来たが、やっぱり、大学病院へ戻った方がいいのだろうか。
 
 しかし、ここの医師は私にこう言った。
 
「大学病院は、やめておいた方がいいですよ。誰が切るかわかりませんからね」
 
 ・・・確かにそうだった。あの時、最初の大学病院で
 
「執刀の先生は、どなたになるんでしょうか? 」
 
と尋ねたが、
 
「誰でもできる手術ですから、それは心配いりません」
 
という返事だった。手術の内容も
 
「その時(ガン)の状況によって変わりますから、今は何とも言えません」 
 
開けてみるまで、何も言えないと言われたわけで、・・・雲をつかむ話だった。
 
 今、思うとそれが私を不安にさせていたように思う。

 

 眠っている間に、私の了解なしに(説明なしに)いくらでも(もちろん、必要なだけだが)医師の判断で切り取られるという話が 、セカンドオピニオンを探させる大きな動機にもなった。

 
 結論から言うと、「ある本」で紹介されていた「オススメの病院」のこの病院に、私がなんのコネクションもなく行っていたら、たぶん私の心と体は、特に胸は今の形をなしてはいなかった。リンパ節もある程度とられてしまい、多くの人がそうであるように、私もその後遺症で苦しんでもいただろう。 
 
 そしてまた、私に幼く、 まだ私からまったく離れられない子どもがいたから、ここでの手術を思いとどまらせることができた。
 
 もしも・・・私に子どもがなく、知り合いもいないこの病院でこの状況だったなら、温厚なこの医師の説得で、私はすべてをゆだねて乳がんの手術を受けていた。
 
 ナースの彼女と、私の子どものおかげで、私はこのときの判断を誤らずにすんだ。
 
 現在彼女は、別の病院で働いています。
 
 辞めた理由を彼女は、(この病院が合わなかったから)と言っていたが、真相はわかりません。
 
 私のことが、まったく影響なかったのか、それは彼女にしかわからないからです。
 
 私は、彼女を(数少ない私の)恩人だと思っています。
 

 そして、心の底から、今も変わらずに感謝しています。

 

 そして実はもうひとり、この局面で私を救ってくれた医師がいました。
 

 その話はまた次回に・・・。
 

 
 

きょうのひとこと
 
 読んだ方も多いかも知れませんが、 MSNニュースより
 
 ガーナ人のセイドゥ・サレイさん(31)は5年前の来日時「本当の孤独を感じた」と話す。外交官の父に「アジア通になれ」とマレーシアに送り出されたが、インド人青年から暴力的な差別を受けタイに移った。「タイ人は優しく、友達がたくさんできた」
 次は日本語をと来日したが、露骨に自分を避ける人々にショックを覚えた。「日本人は僕がいないように振る舞い、インド人よりひどい」

 電車で鬱々(うつうつ)としている時、父の言葉を思い出した。
 
孤独な時は周りを見ろ。必ずおまえを守ってくれる人がいる
 
 その通りだった。
 

 「英語を話せないか、話せても僕に声をかける勇気がない。でも、目を見ると、僕に親近感を持つ人が1車両に必ず何人かはいる。それに気付いたら、心が落ち着いてきた」。以来、日本も悪くない、と思えるようになった。


 

 

2006年06月19日

27.乳がんの手術・入院は3週間

 望んでたわけではなかったが、3件目の病院となった。
 

 穏やかで、やさしそうなその医師は、よく念入りに胸のしこりを触診しながらこう言った。
 
「確かに、いいものじゃないですね」
 
 それは、どこでもそうだった。100%みなが口を揃えてそう言っていた。
 
 良性の腫瘍ではないのだ。

 

「本当に大変でしたね、かわいそうに辛かったですね」
 
・・・そんなふうに言われると思っていなかったので、不覚にも涙をこぼしてしまった・・・。
 
 医師の言葉が心にしみた・・・。冷えきって、閉ざしてしまった心があたたかくなった。
 
 3件目がこの先生でよかった・・。ここにしよう。気持ちはもう決まった。 
 
「いちおうここでも“乳ガンの検査”は全部しますから、承知してくださいね」
 
 また、マンモグラフィーと、超音波の検査をしなければならなかった。その結果が出るまで、2時間近く早めのお昼をとりながら待った。
 
 途中で知人が様子を見に来てくれた。知人はそこの別の科のナースで、実は子どもが肺炎で入院したときに同室だったのだ。それが縁で、年賀状のやり取りもしていた。
 
 前日に彼女にこの“乳ガン”のことで相談をしていた。彼女は、この医師は信頼できる、という評価をしていた。
 
 診察室に呼ばれた。

 

医師; 「先日、細胞診を失敗してるので、大事をとって、このまま手術しましょう」
 

私; 「どんな状態ですか? 」
 

医師; 「大丈夫ですよ。大変でしょうが、3週間ほど入院していただいて治療することになります」
 
私; 「3週間、ですか・・・? 」


医師; 「えぇ、それが一番いいですよ。最終的な今日の検査結果はお電話で知らせますが、                   とりあえずそのような治療になることを理解してください」
 
私; 「どのような手術になるんでしょうか? 」
 
医師;「後々困らないように、適切にとりますから。少し多めにとると思います。リンパ節もとります」
 

 ここでは、あの大学病院のように「手術中に病理検査」に出すことはなく、最初から「ガン」の部分を切除するという。リンパ節も同時に。
 
  病院によってこれほど対応がちがってくるとは・・・・、どう解釈すればいいのだろう・・・。
 
 

 しかも、思ってたよりも、かなり深刻だった。 
 
 

 「今日のひとこと・呼吸」


 食事や、健康食品に気を使う人は多いけれど、呼吸には多くの人が無関心です。
 
 しかし、正しい呼吸の効果は絶大です。
 
 たとえば、「丹田呼吸法」(丹田=おへそのした3センチぐらいの所)。

 

 息を吸うときに大きく腹を膨らませて、吐くときには腹を小さくする腹式呼吸と似ていますが、吐くときに丹田に気を集中し腹圧をかけるのがポイントです。
 
 腹圧をかけることで横隔膜が10aほど上下し内臓が活性化するので、便秘や婦人科疾患、脳卒中の予防、自律神経の調整などにも効果があります。
 
 是非お試しを・・・。

26.受け入れられない乳ガンの検査結果・ひとことメッセージ付き

 一週間後、あの病院へ行きました。今日は先日の胸のしこりの「細胞診」検査の結果が出る。
 
 結果を知るのはこわいけれど、今日ではっきりする。今日まで、今日までと数えながら生きてきた 
 
 先日の医師は今日は休みだった。別の医師になっていた。
 
 肝心の検査の結果は・・・・・・・・「該当する組織なし
 
 どういう意味かというと、つまり細胞がないのだ
 

 あの時、医師が1度目を失敗し、つづけて2度目をやったが、けっきょく「細胞診」のためのしこりの細胞はこれっぽっちも取れてはいなかったのだ。
 
 じゃぁ、あれはいったい何を取ったというのだろう・・・・・。


 胸はいまだにひどく内出血のあとが残っていたし、にぶい痛みも消えてはいなかったのだ。あんな代償を払ったのに、なにも取れてないなんて、なんてこと・・・・!!!
 
 一緒に付き添ってくれた主人が、
「説明してください」
と言ったが、
 
「自分がやったわけではないし、その医師は先日転勤したので事情もわからない」
と、関係ありませんの一点張り。挙げ句の果ては
 
 「意見があるんでしたら、文書で出してください」
 
と言われ、もうここは信頼できないから手術もイヤだと主人が言うので、手術の話もしないで診察室をあとにした。 
 
 「どちらにしても取るしかありませんよ」
 
という医師の捨て台詞だけが心に突き刺さっていた。
 
・・・・・・振り出しに戻ってしまった。
 
 どうしてこんなことになってしまったんだ・・・・。
 
 すべてがうまく回らなくなっていた。
 
 セカンドオピニオンはいったいどうなるのか・・・。
 
 

 ・・・・残りは、ただひとつ。
 
 「ある本」で紹介されていた「あの病院」へ行くしかない。TVでも放映されていたところだ。
 
 早くかかれるように前日に家族で近くのホテルに泊まることにした。
 
 今度は、本当に大丈夫だろうか・・・。
 
次回は、 「入院は3週間」 です。 

 
 

 今日から一言ずつみなさんへのメッセージを載せていきます。私が体験したり、読んだり、感動したものの中からお伝えしていきます。

 「ひとこと」   
 ただ「呼吸」に没頭して、なにも考えないことができるようになると、「気づき」がおこります。

 
 何が必要であり、何が不必要か、何が薬で、何が毒になのかを教えてくれます。
 
 あなたが気分が悪くなるようなものは毒であり、害になるということです。
 
 生命は決してうそはつきません。  

25.医師、乳がんの細胞診のターゲットを外す

 病院の外科の待合室は「乳ガン」検診を希望する人であふれかえっていた。患者とナースの会話からそれが伝わってくる。『乳ガンの本』を読む以外暇なので、「ダンボの耳」のように話をキャッチしていた。
 
 あの人もこの人も、不安を抱えているようだった。みんなたいてい下を向いて(当たり前ですが)考え込んでいる感じでした。
 
 私は、と言えば・・・私だってそうでした。ドキドキ、バクバク・・・。こう見えても小心者なので悪い方へ悪い方へ考えてしまうんです。
 
 もしも「乳ガン」だったら、もう子どもとお風呂には入れないなぁと考えていました。
 
 どれくらい取るのかはわからないけれど、きっと傷が残って、乳房のかたちがかわるだろう。
 場合によっては片方の乳房を失うかも知れない・・・。そんな姿をあんな幼い子どもに見せるわけにはいかない・・・・。
 
 あと、いくつ一緒にお風呂に入れるのかなぁ・・・。考えていると、ドンドン暗くなってきた。
 
 どんなに小さな胸でも、あったほうがいいんだ・・・。
 
 「自分の体をののしっていると、いつか体からしっぺ返しがくる」という ・・・
 
  きっと、これなんだ。
 
 おろかですよね、こうならなきゃわからないなんて・・・。
 
 「中待合室」で待つことになったが、薄いカーテンがあるだけなので、「診察を受けている人」の内容が全部聞こえてきてしまう。これはたいていどこでもそうだった。
 
 聞いてはいけないのだけれど、イヤでも聞こえてきてしまう。
 
 その人は私とほとんど同じ状態でここへ来ていた(そうだったんだ・・この人も辛かったな・・)。
 
 その人は「細胞診」をやることになった。
 
 「簡単ですから、大丈夫ですよ」 
・・・この先生は「医長」らしい。「細胞診」をこの場でできるの?(あの大学病院ではできないといった細胞診が、今ならもれなくこの場ですぐにできるというの・・・? ) 
 
 この人がいい!・・密かに期待して待っていた。ドアーの前に陣取っていた。
 
 しかし、呼ばれたのは、別の医師だった。
 
 ここでも持参した資料とは別に、念のため「マンモグラフィー」と「超音波」をとっていた。
 
「・・・難しいですね、ちょっと、形が悪いんですよね」
 
「これは取る必要があるものでしょうか? 」
 
「えぇ、取らないとだめでしょうね」
 
「細胞診やってみましょうか? 」
 
「(えっ、先生もできるの? すごい! )今日、できるんですか? 」
 
「できますよ、ちょっといたいけど大丈夫ですか? 」
 
「ハイ(覚悟はしてますから)」
 
 そしてなにやら準備を始めたのだけれど、なにしろ初めての経験で、しかも私は「注射」が大嫌いなので、かなりこわかった。
 
「あれっ」
 
「えっ? 」
 
「すいいません、ちょっともう一回」
・・・なんと、外してしまったのだ。そんなぁ、どうして・・・・・・???鋭い痛みだけが残った。
そしてもういちど・・・。 
 
「あぁ・・・うぅ・・・・ん。ちょっと、いちおう取れました」
 
「・・・・・取れたんですか? 」
 
「いちおう取りましたから、来週また来てください。この結果が出ますから」
  
 とにかく痛かった。腕が胸にくっついたまま離せなかった。車を運転するのが辛かった。
 これではっきりするのなら、いい。これぐらいの痛みは我慢しよう。
 
 前に進むしかないんだ。どんな結果でも、受け入れよう。 
 
・・・結果は次回に・・・・。

2006年06月18日

24.本当の名医にあう方法

  彼女が探し出して私にくれた本は、壮絶な内容でした・・・・。
『やっと名医をつかまえた・脳外科手術までの七十七日』  下田治美著   

 

 わたしを悩ますナゾの頭痛の正体は「脳動脈瘤」。いつ破裂してもおかしくないバクダンを抱え、危険な手術を決意するが、巡り合うのはなぜか医ばかり。点滴もできない未熟者、患者を怒鳴り続ける冷血漢、病名まで間違えられて、本当にこのままじゃ殺される!手術前夜、病院から逃走した
とき、真の闘病が始まった――。
 
 へこたれない女、あきらめない患者の、命をかけた名医探し奮戦記。
 

 たいていの人は、医者というものを全能だと信じているし、みんな人の命を必至で救おうとする医師ばかりだと思っている。
 
 しかしこの本を読むとそれは誤りだったと気がつく。この本には本当の名医にあう方法がたくさん書かれている。
 

 自分が医療ミスをうけない為にも必読の1冊である。

 自分の命は自分で守る。

 

 
 
 そういえば、こんなことがありました。
 
 子どもが2才の頃、肺炎にかかり病院に入院した。点滴をしなければならないのだが、点滴が苦手なナースだったらしく、何度やっても入らない、そのうち先生が
「お母さん、先に入院の手続きをしてきて」
と言うので、心配だったが『入院受付』へ向かった。
 
 手続きは順調にいったが、戻ってくるまで10分はかかったと思う。また、処置室に戻ると・・・・
 
 なんとまだ・・あのナースが焦りながら子どものの反対側の細い手首のあたりに点滴の針をさしている。 もうあちこち入れているので、外したところには白い絆創膏が貼ってあった。
 
 「あぁ、もうだめねぇ」
 
そういってようやく先生が替わってやってくれたので、それはもう期待しました。
 あぁ、これで終わるって・・・。
 
 ところが、先生もほとんどさっきのナース状態!
 これには我慢づよい子どもも参ったらしく、こう叫んだんです。
            ・
            ・
            ・
 「はやくいれて!」
 
 自分の子どもながら、スゴイ子だと思いました。
 
「もうかえりたい」でも「もうやめて」でもなく「はやくいれて」だったのです。
 
 その言葉に影響されたのかどうかはわかりませんが、間もなく成功。医師は
 
「子どもはだめね、血管が細いから。もっと太らなきゃね。あなた、思ったよりも強いんじゃない」
 
 その間20分はかかっていたでしょうか。 『ゴメンね』の言葉はありませんでした。
 
 子どもは血管が細いから仕方ないのかも知れないが、患者は、向こうは『プロ』だと思う。
  でも、実際には手技が未熟な医療従事者がいるのです。
 
 こんなストレスを患者にかけてはいけない
 
  
 私の方は、セカンドオピニオンを求めて、友人のご主人(大腸専門医)に紹介されたT病院へ行くことにした。この辺の人は、ガンなら『そこ』へ行くのだという。
 
 迷わず決めました。自宅から離れてはいるが、数日の入院ならいいだろう、放射線の設備もある。
 
 そこで私を診察した医師の話は次回に。

2006年06月16日

23.サクランボの樹のしたで、あの作家と会う

  草もちが縁でした・・・。
 
 たまたま、懇意にしている人のお宅へ草もちを持っていったときでした。

 

 家人は留守だったのです。
 
 その作家もちょうどその家から帰るところでした。
「お留守みたいですよ」
 彼女が声をかけてくれました。それで、その家の人に買ってきた草もちを
「よかったら、どうぞ」
と差し上げたのが始まりでした。彼女は甘いもの、特に「あんこ」が好きだったのです。
 
 後日、私が留守の間に、家のポストに「本」が置かれてありました。

 
彼女が翻訳した本でした。彼女は翻訳もしていたのです。
 

SMAPのキムタクが「好きな本」って紹介したとかで、また売れてるのよ、と笑って言って話してくれました。 子どもも読める本だったのです。
 
 ある時、家の「サクランボ」がたわわになったので、家にご招待しました。
 
 「こんなになってるのみたことがないわぁ」
と、子どものようにはしゃいでいました。 庭の芝生の上のテーブルでお茶を飲んで時間を過ごしたあと、席を立とうとしたとき、私の子どもが
 
「ママ、こんどね、手術するんだ」
と、言いだした。何を言いだすの、この子は・・・・とびっくりしてしまいました。
 

(しかし、子どもながらに不安でいっぱいだったのでしょうだ。かわいそうなことをしてしまいました。
 また、この時のこの子の言葉がなかったら、すべては始まりました。そして、今の私もありません)
 

「えっ、どうして? 」
当然の反応・・・。 それで、仕方なくこれまでのいきさつを話しました。3日後に手術の予定だと伝えると、彼女は意外なことを言いました。
 
「およしなさい、そんな形でメスを入れるのはよくないわ」「切るのは最後の手段よ」
「しっかり、検査はしたの? 」「その病院でいいの? 」「 セカンドオピニオンをなさいなさい」
 「全身麻酔は、相当の手術の時だけよ」
そして、こうも言いました。
 
 「・・・医者はけして万能ではないのよ」
 
 彼女は深刻な病気を抱えていました。これまで多くの病院を渡り歩いていました。一流の病院、名医も何人も知っていました。医学の知識も豊富でした。その彼女の言葉だから、重く感じたのです。
 
 彼女が帰ったあとも、心が揺れていました。
 
 この気持ちに早く決着をつけたかったので、また日が延びることに自分の精神は耐えられるか、正直自信がありませんでした。
 
  しかし、私は電話の受話器を取り、あの病院へ電話をしました。電話の向こうではナースが説得してきました。手術は心配いらないですから、安心して早く受けてくださいと譲らなかった。親切な人だった、外来で何度もあっていたので、心配してくれていたのです。
 
 それでも、話しながら心は固まってきていきました。「セカンドオピニオン」を見つけてからでも、遅くはないんだって、そう思えたのです。
 
 「サクランボ」の日の翌日、その作家が(何千冊という彼女の本の中から探し出して)渡してくれた本にはこう書かれていました。
 
 『やっと名医をつかまえた・脳外科手術までの七十七日 』 著者:下田治美


  スゴイ話でした。 

22.乳がんの手術の日が決まる

 マンモグラフィーと超音波の検査の結果がでたのは、受診後半月ほどたってからでした。
 
 その間に読みあさった「乳ガン」の本は、かなりの数に上っていました。
 
  その間、眠れぬ夜を過ごしていました。ストレスで、胃腸が荒れ、目の下にはくまができていた。
 
  早く、一刻も早く、この不安な毎日から解放されたかった。すべてを終わりにしたかった。
 
 そのときの医師の診断の結果は、こうでした。
 
 この胸の「しこり」が何であるのかは、現時点では確定できません。
 
 ですから、入院し、全身麻酔による手術で胸の「しこり」を摘出し、その場で病理へ回し、「細胞の検査」を行います。もし「良性」ならば、そのまま縫合します。
  「悪性(ガン)」であれば、更に範囲を拡大し切除しますという説明でした。
 
私;「 “細胞診”はできないのでしょうか? 」
 
医師;「ちょっと、難しいんでね、外してしまうと、困りますから。入院して、手術をして取った方がいい  ですよ。万全の体制で臨みましょう」
 
私;「他には方法は、ないのでしょうか? 」 
 
医師;“これが一番安全ですよ」
 
 医師の「一番安全だ」という言葉に吸い寄せられるように、うなずきました。すぐに入院の説明と検査の指示が出て、数日後に心電図もとりました。
 
 覚悟は決めていました。もうこんな腫瘍なんて取ってしまいたいと思っていたから、ならば、早く終わりにしてしまいたかった。なにもかも・・・・。
 
 「乳ガン」あってもこれくらいならば、後々心配はいらないといわれていました。

 
 「しこり」を取って、すっきりしたかった。
 
手術は3日後でした。

4日後には、「しこり」は私の体からきれいに消えてなくなるはずでした・・・・。 
 
 


 次回は「サクランボの樹のしたで、あの作家と会う」です。 
 

2006年06月15日

21.ガン を治すために、私はどうやって病院を選んだか

 帯津三敬病院 の帯津良一 先生のおかげでがんセンター で見放されても、母のがん にもまだまだ生き残るチャンスがあるんだと元気がわきました。
 
 帯津良一先生の各種の治療を受けながら、 ガン の基本的なケアは地元で受けるようにアドバイスされました。

 

 先生は元(手術した病院)に戻れそうか心配してくださったのですが、私には作戦がありました。
 
 その作戦についてはいつかお話しします。

 

 それが功を奏して、(ありがたいことに)以前よりもよい関係を築くことができ、今でも母はそのガン  専門病院へ通っています。 

 主治医から言われた
 
「ガン だってことを忘れて、普通の暮らしを送る」
 

という、やさしそうで実に難しいこの切り替えをどのように具体的に実践するかがまず問題でした。
 
 「生き残る」方法を探しているとき、私の中には「大学病院 」という文字は頭から消えていました。
 
 それには理由がありました。
 
 ここからはしばらくの間、自分の話になりますが、お許しください。
 
 乳ガン 検診ですぐ(今日中)に病院へ行った方がいいと、紹介状を渡されてからの話です。 

 時計は10時を回っていました。今日中に病院へ行くには限られてる。


  近くの「日赤」か、車で30分の大学病院 かのいずれかです。
 
 それより、肝心の「乳ガン 」は何科なのかわからなかったんです。

 

 気ばかりが焦って、いたずらに時間ばかりが過ぎていきました。
 
 落ち着いて考えて、とりあえず近くの「日赤」に電話をして聞いてみることにしました。


「乳ガン 検査は何科ですか?」


「えっと・・・・いちおう外科で診てますね」
 
・・その「いちおう」という言葉が妙にひっかかった。

 

 取りあえずなんでも品物をおいてる「よろずや」のような響きがして、(ここは、あんまりこのての患者が来てないな、と直感した)やめました。
 
 友人のご主人はそこの外科医だけれど、大腸ガン が専門で、肛門から入れる「大腸カメラ」検査が得意だと言っていた。

 

 今回は、ちょっとあてにできない。
 
 消去法でいっても、大学病院 しかなかった。
 
 大学病院 の外科に行きました。

 
受付してから3時間待っている間、いろんな悪い想像がふくらみました。
 
 正直、ガン にはいつかなるような気がしていたんです。
 
でもこんなに早く、それに乳ガン なんて・・・。
 
今まで肉親の誰も乳ガン で亡くなってないのに。
 

うちは代々、内臓のガン だったから、まったくの「想定外」でした。
 
 若そうな医師は、私の胸のしこりをさわりながら、考え込んでいました。

 

その「考え込む」姿がまた余計に私をネガティブにさせました。
 
 あとで冷静になれば、医師が単に「なんだろう? 」と考えてただけなんです。

 
でもそういう時は医師の何げない態度にも注意がいってしまう。
 

 患者の悲しい習性なんでしょうか。
 
「・・・そうですね、しっかり調べた方がいいですから、詳しい検査をしましょう」
 
 結局、「超音波」と「マンモグラフィー」の検査が必要だということになりました。医師の


「ちょっと、急ぎで(検査の日を)入れてやって」


という「VIP」待遇も、私の「しこり」の深刻さを物語っていました。
 
「お大事に」 
 
 それ以外、医師は何も言いませんでした。
 
 ・・・私も何も言えなかった。 
 
 
 どこをどうやって帰ったのか、いつの間にか家の駐車場に着いていました。
 
  悪い夢を見てるんじゃないんだろうか、まったく現実感がなかった。
 
 しかし、車の中には、書店で買った「乳ガン 関係の本」が数冊ありました。
 
 

次回は、「手術の日が決まる」です。
 

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